
愛真の日々
Title:呉・大久野島へ平和学習に行ってきました。
毎年、2年生は広島県の呉市と大久野島に平和学習に行っています。
今年は10月29日から30日の1泊2日の日程で行ってきました。
1日目の訪問先は呉YWCAにて、市民の立場から地域の平和を実現するための平和活動をされている先生にお話をお聞きしました。
呉市は戦時中に、呉軍港で多くの軍艦を持ち、また軍需工場もあったことから、日本最大の海軍基地が米軍の攻撃目標となりました。
そして呉の市街地そのものも、一般市民への攻撃は違反であるのにも関わらず焼け野原になるまで夜間空襲が行われたことを聞きました。
また、この呉空襲を体験された方が作られた紙芝居を読んでいただきました。夜間のひどい空襲の中、防空壕で身動き1つできない状況で圧死するかもしれなかった体験者。
大人に押しつぶされそうになる中、なんとか生き延びたお話は戦争の悲惨さと私達に平和の尊さを伝えようとしていることが強く伝わりました。
午後からは2,000人もの人が亡くなった呉空襲で犠牲になった方々を供養するための、呉市戦災殉職者供養塔のある公園を訪れ黙祷を捧げました。
その後、歴史の見える丘や串山・潜水艦桟橋・大浦地下壕を巡り、海上自衛隊のもつ基地の大きさに驚き、そして日本の備える軍事力を知ることが出来ました。
地下壕では、持って入った懐中電灯を全員で一度消し、真っ暗な中で過ごす時を持ちました。
静寂が広がり、周りには何も見えません。紙芝居のことを思いだし、真っ暗な中で混乱した人々が隙間なくこの壕に入り、混乱や恐怖の声が四方から聞こえていたことを想像しました。恐怖で泣くことしか出来なかった体験者の気持ちが少し理解できました。いかに戦争は恐ろしいものであるかが体験を通して実感できた瞬間でした。
2日目は、大久野島にフェリーで渡りました。
現在は、うさぎの住む国民休暇村として多くの方が訪れる場所ですが、戦時中の大久野島は呉市を守るための軍備を備えた要塞として、また国際法を違反しているにも関わらず毒ガスを作り、台湾や中国で使用し多くの方を死に至らしめました。
また毒ガスを中国に遺棄してきたことにより、今なお毒ガスによる被害が出ています。
毒ガス資料館にて「大久野島から環境と平和を考える会」の方に説明していただきながら貴重な資料が展示を見ました。
その後、大久野島を1周するフィールドワークに向かいました。砲台跡や毒ガス貯蔵庫、発電所などを見てまわり貴重な戦時中の様子が分かりました。
この写真は毒ガスの貯蔵庫だった建物です。
生徒達は、平和学習から帰った翌日にクラスで感想を伝え合いました。
その中では、加害の歴史を今まで知らなかったことに後悔する発言や、事前学習では学べたつもりであったが実際に現地に行くことで戦争のすさまじさを想像することが出来たこと、戦時中の日本の技術の高さに驚くと共に日本の技術が戦争ではなく平和的に利用されて欲しい、家族や友人にこの学びを伝えていきたいなどの感想などが聞かれました。
一人ひとりが平和を作り出す希望のある存在として、貴重なお話を聞かせていただきました。
歴史を知ることの苦しさを抱えつつ、これから自分はどう生きるのかを問われながら歩む日々を与えられたことを感謝いたします。貴重な学びの時を与えてくださった講師の先生方にお礼を申し上げます。