普通科+自然。ここにしかない教育で
「学力」だけでなく「人間力」を育てる
普通科の学習に加え、自然体験・生活労働・平和学習を通して、自ら考え、行動する力を養います。
こうした体験が、自分自身との対話を深め、「本当にやりたいこと」を見つけるきっかけとなり、進学や就職など、納得のいく進路選択につながります。

普通科の学習に加え、自然体験・生活労働・平和学習を通して、自ら考え、行動する力を養います。
こうした体験が、自分自身との対話を深め、「本当にやりたいこと」を見つけるきっかけとなり、進学や就職など、納得のいく進路選択につながります。
キリスト教の理念に基づいた全人教育と、スマホ持ち込みを禁止した全寮制の共同生活。情報に流されず、仲間や自分自身と深く関わる中で、「生きた言葉」や「他者と共に生きる力」が自然と身につきます。
1学年15名・全校生徒約50名の小規模体制により、教員と生徒の距離が近く、日々の対話や支援が丁寧に行われます。安心できる環境の中で、自分のペースで成長し、自信をもって次のステージへと歩み出せます。
「なぜ信じるのか」と問われた日々が、今も言葉を届ける原動力になっている。
キリスト教書編集者として、様々な信仰・神学を持った方々と文書を通して対話をしています。そこに信仰・宣教の知恵を見出し、紡がれた言葉を集め、本という形にして届けるのが仕事です。愛真時代に同級生から問われた問いがこの仕事の原点にあります。「大志はなんでキリスト教信じてんの?」「死んだら天国行けるから…かな」「それってご利益宗教と一緒だね」「……。」ふとしたきっかけで投げかけられた「なぜ信じるのか」という問いは高校・大学とくすぶり続け、その答えを探すようにしてキリスト教出版の世界に入りました。
仕事における出会いの中には、信じてきたことをひっくり返されるような出会いもあります。その原体験は間違いなく愛真です。様々な信仰の背景を持つ先生方の講話、多種多様な生徒による感話、寝食を共にする全人的な交わり。それは自分の世界を広げてくれる出来事であると同時に、時に心をかき乱され、「ではお前はどう生きるのだ」「お前は彼らとどう生きるのか」と問われることでもあります。かなり独善的な信仰を持った生徒でしたが、愛真の3 年間で学んだ他者へのリスベクトの精神、手の取り合い方の基本が、今の仕事に確かに生きています。
出版業界もキリスト教界も見えている未来が明るいわけではありません。時折届く「あの本をきっかけに洗礼を受けた」「あの言葉に支えられた」という言葉に慰めと希望をもらいながら、涙と共に種をまくような営みです。それでもなおこの働きを続けるのは、「お前は何のために生きるのか」と問いかけ続けてくる、大いなる存在の声を今も遠くに間いているから、そして愛真を建てた方々と同じく、その声の主にこの世界の未来を懸けているからです。
キリスト教書編集者として、様々な信仰・神学を持った方々と文書を通して対話をしています。そこに信仰・宣教の知恵を見出し、紡がれた言葉を集め、本という形にして届けるのが仕事です。愛真時代に同級生から問われた問いがこの仕事の原点にあります。「大志はなんでキリスト教信じてんの?」「死んだら天国行けるから…かな」「それってご利益宗教と一緒だね」「……。」ふとしたきっかけで投げかけられた「なぜ信じるのか」という問いは高校・大学とくすぶり続け、その答えを探すようにしてキリスト教出版の世界に入りました。
仕事における出会いの中には、信じてきたことをひっくり返されるような出会いもあります。その原体験は間違いなく愛真です。様々な信仰の背景を持つ先生方の講話、多種多様な生徒による感話、寝食を共にする全人的な交わり。それは自分の世界を広げてくれる出来事であると同時に、時に心をかき乱され、「ではお前はどう生きるのだ」「お前は彼らとどう生きるのか」と問われることでもあります。かなり独善的な信仰を持った生徒でしたが、愛真の3 年間で学んだ他者へのリスベクトの精神、手の取り合い方の基本が、今の仕事に確かに生きています。
出版業界もキリスト教界も見えている未来が明るいわけではありません。時折届く「あの本をきっかけに洗礼を受けた」「あの言葉に支えられた」という言葉に慰めと希望をもらいながら、涙と共に種をまくような営みです。それでもなおこの働きを続けるのは、「お前は何のために生きるのか」と問いかけ続けてくる、大いなる存在の声を今も遠くに間いているから、そして愛真を建てた方々と同じく、その声の主にこの世界の未来を懸けているからです。
「いかに生きるか」を見つめた日々が、世界と信頼をつなぐ原点になった。
卒業後は大学で国際関係を学び、財閥系の商社に入社しました。大型プラント建設契約(EPC) の海外営業を担当した後、タイに赴任し、約2 年間プラント建設現場のプロジェクトマネージャーを務めました。その後、途上国の開発扱助を行うJ ICA に転職し、現在は本部でインフラ分野(道路や橋梁等)の無償資金協力事業
を担当しています。アフリカ、中南米、オセアニア等に出張する機会もあり、日本の政府開発援助(ODA) を活用しながら「信頼で世界をつなぐ」ため奮闘する毎日です。
愛真での日々は「人は何のために生きるのか」この問いと正面から向き合った3 年間でした。朝晩の集会や寮生活を通して自分とは異なる価値観を持つ他者がいることを知り、作業や自然に囲まれた生活の中で自己と対話し理解を深めていく。
その中で「ありたい姿」や、そもそも「何のために学ぶのか」といった考えを深めたことが自身の軸となり、現在の人生観やキャリアにつながっていると感じます。また、共同生活においてある種の異文化理解を実践したことは、グローパルな仕事をする上でも大いに役立っています。
15 歳で東京の親元を離れ、見知らぬ土地で全国から集まった友人と共同生活を送ることは、勇気のいる決断でした。しかし、毎日が修学旅行と例えられる環境において、五感をフルに使い、自己や他者と向き合う日々を過ごせたことは、人生の財産となっています。今後、世界はますます不確実性が高まり、予測できないものとなります。やみくもに知殿を詰め込むのではなく、若い日に愛真で自身と向き合い、いかに生きるか、多くの方がこの問いと対峙する機会を得ることを期待します。
卒業後は大学で国際関係を学び、財閥系の商社に入社しました。大型プラント建設契約(EPC) の海外営業を担当した後、タイに赴任し、約2 年間プラント建設現場のプロジェクトマネージャーを務めました。その後、途上国の開発扱助を行うJ ICA に転職し、現在は本部でインフラ分野(道路や橋梁等)の無償資金協力事業
を担当しています。アフリカ、中南米、オセアニア等に出張する機会もあり、日本の政府開発援助(ODA) を活用しながら「信頼で世界をつなぐ」ため奮闘する毎日です。
愛真での日々は「人は何のために生きるのか」この問いと正面から向き合った3 年間でした。朝晩の集会や寮生活を通して自分とは異なる価値観を持つ他者がいることを知り、作業や自然に囲まれた生活の中で自己と対話し理解を深めていく。
その中で「ありたい姿」や、そもそも「何のために学ぷのかJといった考えを深めたことが自身の軸となり、現在の人生観やキャリアにつながっていると感じます。また、共同生活においてある種の異文化理解を実践したことは、グローパルな仕事をする上でも大いに役立っています。
15 歳で東京の親元を離れ、見知らぬ土地で全国から集まった友人と共同生活を送ることは、勇気のいる決断でした。しかし、毎日が修学旅行と例えられる環境において、五感をフルに使い、自己や他者と向き合う日々を過ごせたことは、人生の財産となっています。今後、世界はますます不確実性が高まり、予測できないものとなります。やみくもに知殿を詰め込むのではなく、若い日に愛真で自身と向き合い、いかに生きるか、多くの方がこの問いと対峙する機会を得ることを期待します。
都会育ちの自分が「なんでもある」から、「なんでも出来る」考え方に変わった
卒業後は介護職をしていましたが、28 歳の時にパン屋を志しました。育児をしながらパン作りを学び、家族の協力のもと、体に良い材料と天然酵母で作るベーグル屋を開きました。お店を始めてからは近所の方たちとの関わりが増え、お客さんの案で新作ができたり、畑で収穫した野菜や果物を提供してくれる方もいたりします。通販でベーグル便を全国にも送っています。卒業以来の友人が訪ねて来てくれることもあり、学年を超えた出会いもあります。
酵母は生き物なので、季節によって活力も違い発酵具合に気を使っています。パンを作っている時によく思い出すのは、愛真で経験した製パンやお菓子作りです。手作りが美味しいことに感動しました。都会で育ち、何でも揃う生活環境だったのが、愛真での調理や菜園作業、寮生活などを通して、「なんでもある」から「なんでも出来る」という考え方に変えられたように思います。全く違う背景、考え方を持った愛真生との出会いも大きな財産です。卒業後も友人たちとの繋がりが自分自身の世界を広げてくれ、とても剌激を受けています。
卒業後は介護職をしていましたが、28 歳の時にパン屋を志しました。育児をしながらパン作りを学び、家族の協力のもと、体に良い材料と天然酵母で作るベーグル屋を開きました。お店を始めてからは近所の方たちとの関わりが増え、お客さんの案で新作ができたり、畑で収穫した野菜や果物を提供してくれる方もいたりします。通販でベーグル便を全国にも送っています。卒業以来の友人が訪ねて来てくれることもあり、学年を超えた出会いもあります。
酵母は生き物なので、季節によって活力も違い発酵具合に気を使っています。パンを作っている時によく思い出すのは、愛真で経験した製パンやお菓子作りです。手作りが美味しいことに感動しました。都会で育ち、何でも揃う生活環境だったのが、愛真での調理や菜園作業、寮生活などを通して、「なんでもある」から「なんでも出来る」という考え方に変えられたように思います。全く違う背景、考え方を持った愛真生との出会いも大きな財産です。卒業後も友人たちとの繋がりが自分自身の世界を広げてくれ、とても剌激を受けています。
「人生ってどんな意味があるんだろう?」
学びや生活で得られる体験を通して、自分で考えて、自分で探していく
本校は「人は何のために生きるのか」との問いを起点とし、現代社会で自分らしく生き抜くために、そして本当の自分を見つけるために、学校生活を通して自分自身をしっかり育てていきます。
少人数制のため、生徒が質問や発表をする機会が多くあります。科目選択には自由があるので、各自が興味を広げながら将来の進路に向けて調査することもできます。
聖書は本校の教育の根幹をなすものです。私たち一人ひとりは神様から愛されて、この世に生かされているという土台の上に立っています。
教職員による毎朝の礼拝、生徒による夕会、聖書の授業、収穫感謝礼拝やクリスマス礼拝が行われています。
平和を愛する心、国際的な広い視野、隣人と共に生きていく意志を育むために、平和学習を行っています。事前学習を通して歴史の事実に耳を傾け、
現地を訪ねて人々の証言にふれることで、自らの生き方が問われます。
校内では使用禁止です。学期初めに寮監に預けて、学期修了時に受取。受験時などの一時離校時は使用可です。
調理職員の指導のもと、生徒による手作りです。週一回ほど調理当番が回ってきます。1,2,3年生縦割りの調理班で担当。調理時間は夕方(夕食と翌日の下ごしらえ)と早朝(朝食・昼食)です。
自由、日中は外出Okです。買いもの、散歩、スポーツ、カードゲーム、お菓子作り、焚火、音楽、陶芸、絵描き、読書、学習など、人それぞれ。一人で過ごす生徒よりも友人といっしょに過ごす人が多い印象です。
なし。隔週土曜日に希望者・全学年での芸術・スポーツの時間があります(全校活動)。現在、陶芸、美術、茶道、音楽、土いじり、Natural Hippies(自然素材での工芸)があります。生徒が希望者を募って新たな活動を始めることもできます。
毎朝の礼拝で聖書を読みます。教員は全員、キリスト教信仰を表明する者であり(洗礼を受けていない者、教会に所属していない者も含む)、生徒一人ひとりが唯一無二のかけがえのない存在であるとの信念を軸に持って日々生徒と接しています。生徒は、キリスト教を信仰していない生徒も多くいます。信仰していないと入学できないということはありません。