学校紹介 About

学校紹介

自ら考え、自ら学ぶ
新しい自分を
見つける場所

本校は「豊かな知性と確固たる良心を合わせ備えた責任の主体たる独立人を育成する」ことを教育目標にした、少人数・全寮制の普通科高校です。
全国から集まった生徒たちは共に学び、共に働いて希望を語り合っています。

キリスト教愛真高等学校

3つの特長

01 Education

本校は「人は何のために生きるのか」との問いを起点とし、現代社会で自分らしく生き抜くために、そして本当の自分を見つけるために、学校生活を通して自分自身をしっかり育てていきます。

02 Environment

日本海に面した浅利富士の中腹にある本校。林から野鳥のさえずりが聞こえ、展望台からは日本海が一望できる自然豊かな場所です。テレビやインターネットなどの情報から離れ、落ち着いて自分と向き合うことができる環境で自己を形成していきます。

03 Life&Work

例えば、鶏をヒヨコから大きく育てたり、無農薬で野菜を栽培したり、食パンを石窯で焼いたりします。本校では「自分の生活は自分で築く」という考え方が基本。可能な限り手仕事を通じて、日常の生活を作っていきます。

Links

作業(労働) 調理

Greetings

ごあいさつ

校長 栗栖 達郎

本校は、真に自立した人間として真実に生きようとする人を世に送り出したいと願って設立された学校です。本校では、全国から集まった生徒たちが本物を求めて励まし合い、支え合って生活しています。本校での学びと生活は、本当の意味で自分を大切にし、隣人を大切にする生き方とはどのような生き方なのかを深く考える時となるでしょう。

豊かな自然の中にある本校で、真理を求め、自らの頭と手と足を使って学び生活することを通して、また教職員も身近に生活している全寮制の中での人格的な交流を通して、本当の自分に出会い外に心が開かれていく、そのような体験をしてみませんか。

Education Goal

教育目標

『真理を愛し、
独立した人格を
育てる』

豊かな知性と確固たる良心を合わせ備えた
責任の主体たる独立人を
育成することを目標に、
少人数・全寮制の環境において
聖書に基づく全人教育を行う。

Spirit of The Founding

建学の精神

人は何のために生きるのか?

自ら考え、自ら学ぶ。
新しい自分を見つける場所。

人は何のために
生きるのか?
自ら考え、自ら学ぶ。
新しい自分を
見つける場所。

創立責任者
高橋 三郎

創立責任者である高橋三郎は、真理を愛し真実に生きようとする人格の育成が日本の現代的課題と考え、「人は何のために生きるのか」という人間の根本問題を教育の中心にすえた学校の設立を提唱しました。
内村鑑三の志を継承する高橋の呼びかけに、多くの祈りが結集し本校は1988年に設立されました。
真理探究の精神をもち、労働を大切にし、広い視野に立って平和を愛する国際的精神を備えた人間形成を目指して、豊かな自然環境の中で、聖書に基づく全人教育を行っています。

創立者の教育哲学をもっと見る

超越的な愛、またこれに触発されて人間の中に生み出される愛、具体的にはたとえば親が子供に対して抱く愛などは、われわれが犬の首に鎖をつけ、あるいは小鳥を鳥籠の中にとじこめ、餌をやって可愛がるような愛であってはならない。これは自明のことでありまして、真の人格的な愛は、その対象を独立した個として尊重するものでなければなりません。ところで先ほど申したように、人間は自分自身になるため、真の自己を探究しながら、どこへ向かえばよいのか分からなくて、さすらっている放浪者なのですから、そういう人々に真の自我意識を与えるものは何かということが、次の問題として登場するわけです。

結論を先取りして申しますならば、「汝」として呼びかける他者の前において、人ははじめて自我意識にめざめる、と私は考えております。この関連において、皆さんにはあるいは意外に思われるかもしれませんが、名前の持つ重要性に一言触れておきましょう。名前は決して単なる一つの符牒ではありません。これはその人格の集約された表現なのです。この問題について、ポール・トゥルニエの『なまえといのち』という本の中に出て来る一つのエピソードを御紹介したいと思いますが、ある妊娠している婦人がプラットナーという医師のもとに、堕胎についての同意を求めてやって来ました。プラットナー博士は彼女の話を聞きながら、堕胎に賛成しかねていると、彼女はこう言うのです。「先生、結局のところ、これはただの小さな細胞のかたまりじゃありませんか。」だから堕胎したところで大した問題ではない、というのが彼女の考えでした。博士はしばらく考えた後に、こう尋ねたということです。「もしその赤ちゃんを産むとしたら、何という名前をつけますか。」こういう問いかけをする医師の洞察の深さに、私は驚嘆せざるをえないのですが、この問いかけを受けた婦人は、今まで細胞のかたまりに過ぎぬと思っていた胎児が、実はすでに一つの人格であることに気づいて、愕然とするのです。この一撃が功を奏し、彼女は長い沈黙の後、こう答えました。「ありがとうございました、先生。この子を産むことにします。」

(『青年期の課題』「青少年非行化の背景」より、傍点原著者)

高橋三郎『青年期の課題』創文社、一九八一年、p.183~184(初出『十字架の言』一九七九年四月号)

真理は常に相反する二面をそなえている。たとえば、愛は限りなく赦す心であるが、こらしめることを知らない愛は、真の愛ではない。あるいは神を信ずる者は、主の御心とあれば一切の成算を無視して突進する勇気を与えられるが、それは周到な計画と準備を頭から否定することではない。また真理は人に聞き入れられないということの中に、預言者とイエスと使徒たちの苦闘の根源があったが、逆に、真理のみが時の試練に耐えて(すなわち真実なる魂の中に宿り、絶えることなく継承されて)最後まで勝ち残る、ということも本当である。

このように相反する二つの命題が同時に成立すること、すなわち真理の弁証法的性格は、原理的にはすでに、古くから知られていることであるが、実際には、真理の一面だけを一方的に強調することに基づく誤謬が、われわれの世界に充満しているように見える。

高橋三郎『ルターの根本思想とその限界』山本書店、一九六〇(一九八九年再版)、p.9

そこで、これについてなされたルターの発言を、次に考察することにしよう。「神の御心は人間にとって厳しく、気に入らず、まったく絶望的であるように見える」。なぜならわれわれが嘘つきであり、真理に心を寄せているかのように思い上がっており、自分の考えに同意し賛成する真理だけに耳を傾けるので、真理は反対の姿をとって、われわれの許に来ることしかできないからである。しかし人間が謙遜に自己を開け渡し、信仰によって忍ぶならば、そのとき初めて、神の御旨がいかに善であるかを理解するのである。

高橋三郎『ルターの根本思想とその限界』山本書店、一九六〇(一九八九年再版)、p.300

青年期の課題を考えるに当って、最初に取り上げなければならないのは、この「偽り」の問題でありましょう。そしてこれは、もちろん青年だけの問題ではない、あらゆる人間にとっての、どうしても回避できぬ問題であります。そしてまた、その答えも原理的にはきわめてはっきりしている。人は正直でなければならない。けれども、一体誰が本当にこれを実行するのか。これが問題であります。

(一九七九年、小倉での講演「青年期の課題」より)高橋三郎著作集第九巻p.9

最後にもう一度、今日のお話の冒頭に立ちかえり、私が大切だと考えている一つの結論を、申し上げたいと思います。人生には意味と目標がなければならない。私のお話は、青年期を可能性に満ちた時期としてとらえ、その未来の可能性をいかにして現実化するかという視点から、語り始めたのでしたが、一歩退いて考えてみると、そもそも生きるということ自体に意味があるのかということを、もう一度根源的に問い直してみる必要があります。われわれの人生、つまり生きているということ自体に意味があるとすれば、それは何であろうか。この問いを、多くの人が初めから回避し、避けて通っているのではありますまいか。そして皆さん自身も、人の解答を鵜吞みにしないで、みずから体当たりで、この問題の答えを探究して下さい。人からの借り物ではだめなんです。

しかしこれについて、何も言わずにお別れするのでは、無責任のそしりを免れないでしょうから、私にとって人生の目的は何かということを、ひとこと申し上げることにしたいと思います。人生の目標は、生けるまことの神を発見することである。これが私にとっての解答です。                     

 (一九七九年、小倉での講演「青年期の課題」より)高橋三郎著作集第九巻p.33

皆さんはこれを、余りにも突飛な答だと思いますか。それなら、神を発見するということの内容として、まことの愛を発見すること、というふうに言い換えてもよい。神は愛でありますから。

——愛の対象を与えられ、愛に生きるということこそ、人間として生きることの最終的目標である。こう言えば、文学者などは賛成してくれるかも知れません。しかし実は、これではまだ、最終的解答にはなっていないのです。なぜなら、われわれは人を本当に愛することができませんから。

すると、神を発見し、愛に生きるということは、最終的にはどういうことになるのであろうか。それは神の愛にとらえられ、われわれの救いのためにその独り子さえお棄てになったという、われわれの理解を絶する愛の焔の中に、自分自身がとらえられることによって、その神を愛し、その神の御心であるが故に与えられた隣人を愛して進む。この愛の捧げということを抜きにして、人生の意味づけはできないと私は思います。しかもわれわれが神を愛するのではなく、神がわれわれを愛しておられるという、この順序が大事です。これほどの愛が自分におし迫っているという客観的事実を、なぜ人は無視し続け、拒絶し続けるのでしょうか。実はこれがまさに、罪にほかならない。この愛に触れるとき、われわれはそこではじめて、生命というものの営みの、根本的意味を発見することができると思うのです。

皆さん、私はこれを、おしつけようとしているのではないのですから、誤解しないで下さい。私にとってはそうであった、と申し上げているだけです。自分で納得できなければ、自分で納得の行くまで、解答をお探しなさい。人生問題の解答は、借り物ではだめですから。

(一九七九年、小倉での講演「青年期の課題」より)高橋三郎著作集第九巻p.33-34

まことの神にめぐり会う時、そしてその神の愛の中に自分の魂が抱かれる時、人は初めてほんとうの自己を発見する。そのほんとうの自己とは、自分が愛されているということを発見することだ、ということです。しかもこの愛は、抽象的な口先だけのことではなくて、自分のすべて——身体も職業も家庭のことも、すべてを含んだ自分——を愛し、自分の全生活に対して責任を負い抜いて下さるということであり、そのような神様の御手に抱かれて生きている自分を知るとき、われわれの生活に喜びが溢れて来る。このような生き方を見出すことは、ほんとうに人生最大の事業であると思います。

(一九六四年、NHK放送「絶望と希望」より)高橋三郎著作集最終巻p.97(初出『十字架の言』一九六五年一月創刊号)

主体性確立への道は、自分の魂のふるさとはどこにあるのか、本当の自己とは何か、という問いにまでさかのぼって、歩み直さねばならないことになる。そして、人間の一生とは、まず自分の家庭から始まって、一歩一歩自分のアイデンティティを探究しつつ進んで行く「自己探究の歩み」である、と言うこともできるであろう。(中略) そして実は、この自己同一性探究の終極に、イエス・キリストが立っておられるのである。このキリストの中に、真の自己を見出すとき、私のふるさとは天に在り、地においては旅人、やどれる者として生きて行くことになる。つまりこれによって、現実の国家やさまざまな共同体に対して、一つの距離を置き、これを批判的に克服しつつ、新しい日本、新しい共同体建設への立場を、獲得することになる。すなわち、天にふるさとを持つことによってこそ、真の主体性が確立されるのではないか。これが私の到達した一応の結論である。

(一九七三年、福岡での講演「主体性の基盤」より)高橋三郎著作集第九巻p.89~90

今まで語って来たキリストの福音が、本物であるかどうか、体当たりで探究して下さい。そして、これから始まる社会生活こそは、人生の最上の学校であります。皆さんの教育は、まさにこれから始まる。それは「自己教育」という形で始まるのです。今までの学校生活は、いわばこの自己教育のための、準備期間でありました。どうかこの喜び溢れる卒業礼拝が、文字通り、名実ともにコメンスメント(新しい出発)であるようにと、心から願いつつ、このお話を終わります。

(一九七〇年、恵泉女学園短期大学卒業礼拝講話「生命の原点」より)高橋三郎著作集第九巻p.231

Philosophy of Education

教育の柱

01

聖書に基づく人間教育

日曜礼拝・毎日の朝拝と夕会(夕拝)を全校生徒・教職員で共にし、週に1度「聖書」の授業があります。
聖書を通して、人それぞれがかけがえのない者として神に愛されていることを知り、それと同じように他者を尊重することを学びます。
礼拝は、静寂の中で各自が自分を見つめ直すと共に、皆で祈りを合わせる時になっています。

02

真理探究・自主独立の精神

本校は真理を愛し、自ら学び、自ら考える生徒を育てようとしています。本校の学びは教科学習にとどまらず、全寮制の生活や労働、人格的交流など全ての教育活動を通して、人間としての真に生きる力を身につけることを目指しています。豊かな知性と良心に基づいて判断し、責任を持って行動できる人間を育てます。

03

国際的精神の育成

歴史を学び、人類の過ちを直視するとともに、私たちが今どのような現実の中に置かれているかを学び、未来を考える若者を育てたいと願っています。本校を巣立っていく卒業生が国際的な広い視野に立って、隣人のために生きていくことを期待します。

History

沿革
1985年
9月

高橋三郎、信仰によって立つ高等学校設立を提唱。

1985年
10月

第1回設立発起人会・理事会開催。
名称を「キリスト教愛真高等学校」とする。
多田昌一、理事長に就任。

1988年
4月

開校。第1期生入学。
初代校長 渡辺晴季。

1991年
4月

西田 潔、
第2代校長として就任。

1993年
4月

三宅 登、
第2代理事長として就任。

1995年
4月

風間 文子、
第3代校長として就任。

2001年
4月

渡邉 信雄、
第4代校長として就任。

2006年
4月

佐藤 全弘、
第3代理事長として就任。

2009年
4月

安 昌美、
第5代校長として就任。

2014年
4月

栗栖達郎、
第6代校長として就任。

2015年
4月

小久保 正、
第4代理事長として就任。

2024年
4月

水戸 潔、
第5代理事長として就任。

愛真高校 1987.4起工式

愛真高校 1987 学校建設工事

愛真高校 1987 学校建設工事

愛真高校 1987 学校建設工事
初代理事長 多田 昌一氏

愛真高校 1987 学校建設工事

愛真高校 1987 学校建設工事

愛真高校 1988.4開校式 

愛真高校 1988.4第一期入学生

愛真高校 創立責任者 高橋 三郎氏

Teacher

教員紹介

正田 満

教科 社会
教科以外の担当

修繕班(作業)・陶芸(全校活動)・広報
大切にしていること          
教科としては、学ぶって面白いと感じながら自分が率先して学ぶこと。教員としては、みんなが安心して学べる環境を整えることです。本当に大切なことは何か。この環境で高校生と一緒に考えています。


福井 香

教科 音楽
教科以外の担当

担任・製パン班(作業)・合唱(全校活動)
大切にしていること          
音楽(合唱)においては、一人一人に与えられている「声」が十分に引き出され磨かれること、その音色を持ち寄って響きが調和する喜びを体験することは、自分自身を知り隣人を受け入れることにつながるとともに、音楽を奏でることで作詞作曲者と体験的に出会い対話してほしいという願いをもって生徒と向き合っています。


野間 陸

教科 聖書
教科以外の担当

男子寮監・水田山林班(作業)
大切にしていること          
生徒その人自身に、人間として出会って関わることを大切にしています。肩肘張らず、一緒に悩んで考えながら、「共に生きる」ことを見つけていきたいと思っています。


栗栖  達郎

教科 理科・情報・保健体育
教科以外の担当              

校長・リサイクル班(作業)
大切にしていること            
生徒ひとりひとりが大人の「個」としての人格であること。


林 皆仁

教科 国語
教科以外の担当              

養鶏(作業)・チェロ(※たまに)
大切にしていること

自分に嘘をつかないこと。


Access

交通アクセス

本校は、日本海に面した浅利富士(室神山)の中腹にあります

〒695-0002
島根県江津市浅利町1826-1
TEL: 0855-52-5795
FAX: 0855-52-5212

JR江津駅より タクシーで15分

東京より 
「サンライズ出雲」 ~ 出雲市駅 ~ 江津駅
岡山より 
伯備線経由 ~ 出雲市駅 ~ 江津駅
新山口より 
山口線経由 ~ 益田駅 ~ 江津駅

出雲空港 ~ 出雲市駅 ~ 江津駅
石見空港 ~ 益田駅 ~ 江津駅

東京・新宿― 出雲市駅 ~ 江津駅
広島新幹線口― 浜田駅 ~ 江津駅

中国自動車道(千代田IC) ~ 浜田自動車道・江津道(江津IC)
山陰自動車道(出雲IC) ~国道9号線

Sister School

姉妹校の紹介

都会から離れた本校ですが、創立以来、
積極的に外部との交わりを大切にし、
ワークキャンプや研修旅行など、

視野を広げ、生き方を考える出会いの場は
多く与えられています。
国内外の姉妹校との交流も積極的に行います。

〒999-1292
山形県西置賜郡小国町叶水826
TEL: 0238-65-2021
https://kdg.ed.jp/

〒518-0221 三重県伊賀市別府690
TEL: 0595-52-0327
http://ainogakuen.ed.jp/

韓国忠清南道洪城郡洪東面八卦里664
TEL: 0451-633-3021
http://www.poolmoo.net

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